14世紀から18世紀のアユタヤ王国は常にビルマ(現ミャンマー)との戦争の歴史でした。
そんな歴史の中で「ワット パナンチューン」はビルマ軍から破壊を免れた縁起のいいお寺として多くの参拝客で賑わっています。
地図
拝観時間:朝7時から夜6時まで
(時間変更があります)
入場料:20バーツとの情報ですが、チケットの受付がなく無料でした。
ワット パナンチューンの歴史
「ワット パナンチューン」は1324年に建てられたとされ、これはアユタヤ王国初代ウートン王がアユタヤを都と定めた27年前のことでした。
本堂には中国の仏像が祀られています。
これは建設当初「ワット パナンチューン」の地域には中国の宗王朝時代に200人ほどの中国人が住んでいたとされています。
涙の流した大仏
本堂には1334年につくられた高さ19mの金色の大仏が祀られています。
1767年アユタヤ王国滅亡し都が破壊される直前に大仏から「聖なる目から聖なる臍へ涙が流れた」との伝説があります。
その後1854年、お寺の修復が終えた後にラーマ4世がこの仏像に「プラ プッタ トライ ラタナ ナーヨック」と名付けました。
大仏が祀られている本堂の壁には小さな穴がたくさんあります。
よく見るとそれぞれの穴には小さな仏像が納められています。
この他、本堂にはいくつかの部屋に分かれそれぞれ金色の仏像が祀られています。
壁には美しい花が描かれています。
こちらにはふくよかなお顔の仏像が祀られています。
プラナン ソイ ドック マック神社
「ワット パナンチューン」には中国からタイへ渡ってきたという伝説の悲劇の姫「プラナン ソイ ドック マック」を祀った中国の神社があります。
伝説によると昔、占星術師が中国の王へ養子としていた美しい少女「プラナン ソイ ドック マック」が将来タイの王と結婚すると予言をしました。
その後、中国の王は成長した娘の「プラチャオ サイナム プン」をタイの王の妃として嫁がせることをタイの王宮へ伝えました。
これを聞いたタイの王宮では妃の歓迎の準備を始めましたが、タイの王「プラチャオ サイナム プン」は歓迎の準備に忙しくプラナン ソイ ドック マックを港に迎えに行くことができませんでした。
しかし、事情を知らないプラナン ソイ ドック マックは港に夫が自分を迎えに来ないことへの不満を言い船を降りようとしませんでした。
それを聞いたプラチャオ サイナム プンはプラナン ソイ ドック マックへ「では、ずっとそこにいなさい」と言いました。
その言葉にプラナン ソイ ドック マックは深く悲しみ中国から乗って来たジャンク船
を降りることなくそのまま船の中で息を引き取りました。
プラナン ソイ ドック マックが亡くなったことを聞いたプラチャオ サイナム プンは深く悲しみ「ワット パナンチューン」の境内に神社を建てその御霊を弔いました。
現在でも悲劇の姫への祈りを捧げる人が絶えません。
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