ワット ピチャイソンクラームはサムットプラカーンにあるお寺です。
一見するとタイでどこにでもあるお寺ですが、19世紀のラーマ2世の治世、このお寺には4つの砦が築かれました。
地図
ワット ピチャイソンクラームの歴史
ワット ピチャイソンクラームはアユタヤ王朝の1710年頃に建てられたお寺で、当時はワット ポーもしくはワットノックとよばれていました。
アユタヤ王国時代は16世紀からから中国やポルトガル、イギリス、フランス、オランダなどの国との貿易が盛んでした。
1809年に王位に即位したラーマ2世はチャオプラヤー河の奥にあるプラプラデーンの港の拡張工事を行いモン族をサムットプラカーンに移住させました。
しかし、貿易によるトラブルも頻発していました。
そこで、ラーマ2世はチャオプラヤー河の防衛のため、河口の近くにあるこのお寺の敷地内に4つの砦を築き、お寺の名を「ワット ピチャイソンクラーム」と改めました。
その後、砦は撤去され、現在は跡形もありません。
お寺の入口を入るとヒンドゥー教の神様「ガーネーシャ」があります。
この神様はあらゆる障害を取り除くことから、多くのタイのお寺で祀られています。
こちらが本堂になります。
ご本尊です、この日は平日なので参拝客も少なく奥でお坊さんも一休みしています。
かつて砦があったとは想像できないくらいのんびりのした雰囲気があるお寺です。
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