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身を楯に国王を守った王妃:シースリヨータイ王妃

執筆者の写真: somutamusomutamu

アユタヤ王国18代チャクラパット王(在位1548年ー1569年)の妃であり戦場で王を守るため命を落としたシースリヨータイ妃は現在でもタイ人に尊敬され続けています。


そのためアユタヤにはシースリヨータイ妃を称えるシースリヨータイ王妃像が祀られている公園があります。


シースリヨータイ王妃 地図


また他の場所にはシースリヨータイ妃の遺骸の墓所として仏塔が建てられた「シー・スリヨータイ・パゴダ」があります。


シー・スリヨータイ・パゴダ 地図


しかしシースリヨータイ妃の記述に疑いがあることから、シースリヨータイ妃の存在を疑う説や、伝記は事実性が低く後世に書かれたと考える一部の学者もいます。


ビルマとの戦争が始まる

夫である国王を毒殺し息子まで処刑をして寵愛した小姓を王位に就けたシースダーチャン妃のためアユタヤ王国は政治的混乱となりました。


この混乱を収めべくチャクラパットはシースダーチャン妃を処刑し1548年にアユタヤ王国18代国王に即位しました。


しかしシースダーチャン妃が起こした政治的混乱をビルマは見逃すことはなく1548年にアユタヤへ侵攻を開始しました。


そのためチャクラパット王はビルマ軍を迎え撃つべく戦場へ赴きました。


アユタヤ王国では女性が戦場に赴くことは禁止されていました。


しかし政治的混乱のため劣勢なアユタヤ軍を見たシースリヨータイ妃は禁を破り、髪を切り男装をして戦象にまたがりチャクラパット王のいる戦場へ後を追いました。

シースリヨータイ妃

身を楯に王を救ったシースリヨータイ妃

こうして1549年に2月2日にアユタヤ軍とビルマ軍の戦端が開かれましたが、劣勢なアユタヤ軍は敵兵に包囲されチャクラパット王が乗っていた象も倒れ王の命も風前の灯となりました。


その危機にシースリヨータイ妃が自らの象を進ませチャクラパット王を守りました。


しかし、身を楯にしたことからシースリヨータイ妃は敵兵の手にかかりその命を散らせてしまいました。


シースリヨータイ妃の犠牲により戦場を脱出したチャクラパット王ですが、戦線を突破されたアユタヤ軍は都に籠城をしました。


ビルマ軍の籠城は1カ月続きました。


その後、アユタヤ軍が包囲網の突破に成功し形勢が逆転したことからビルマ軍は撤退をしました。


この戦いの後、チャクラパット王はシースリヨータイ妃を弔うために大きな仏塔を築きその霊を弔いました。


この日もシースリヨータイ妃を弔うために訪れた人が仏塔に深い祈りを捧げていました。


シースリヨータイ妃に関しては諸説ありますが、この大きな仏塔は国を守るために身を捧げた人々を弔う墓標なのでしょう。

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