パトゥムターニーのチャオプラヤー河沿いには1700年代に建てられたワットチェディートーンなどモン族のお寺が多く「ワット ターイ コッ ヤイ」も1600年代にこの地に移住したモン族により建てられたお寺です。
地図
モン族の移住がビルマとの戦争へ
アユタヤ王国30代ナーラーイ(在位1656年ー1688年)の治世にミャンマー南部のイェーとモッタマに住む多くのモン族がビルマのタウングー王国の圧政から逃れアユタヤ王国へ避難し帰化を求めました、
こうして避難してきたモン族へナーラーイ王はアユタヤ王国の帰化を認め定住を許されたモン族はこの地にモン語でワット ウィアンチャムというお寺を建てました。
しかし、1663年にビルマは移住したモン族の帰還を求めましたが、ナーラーイ王はこの要求を拒否をしたことからビルマ軍によるアユタヤ王国への侵攻が始まりました。
このビルマ軍の侵攻に対しナーラーイ王はタイ西部カンチャナブリにてビルマ軍の撃退に成功し帰化したモン族を守りました。
その後長らくお寺はワット ウィアンチャムとよばれていましたが、1939年にお寺の名前をタイ語の「ワット ターイ コッ ヤイ」に改めました。
こうしてラーナーイ王に守られたモン族には多くの陶工がおりオーンアーン窯にて陶器の制作を行いました。
アユタヤ王国の文化の名残:オーンアーン窯遺跡につきましてはこちらをクリックしてください。
ナーラーイ王の治世は中国やヨーロッパ諸国と盛んに貿易を行っていましたのでモン族の陶工達もアユタヤ王国の文化や経済に貢献したのでしょう。
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