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執筆者の写真somutamu

ガムムアン王像:パヤオ王国とガムムアン王

更新日:2023年5月14日

パヤオ湖の畔にはパヤオの英雄「ガムムアン王」の像がそびえ立ち、今でもパヤオの人たちから尊敬されています。


このガムムアン王像はパヤオで有名なお寺「ワット シーコームカム」から歩いて10分ぐらいの場所にあります。

地図

パヤオ王国とは

元々、中国の雲南省に住んでいたタイ族が肥沃な土地で豊富な水量があるこの地にたどり着き1096年にチョームタム王によってパヤオ王国が建国されました。


一般的にタイ族による初めての王国は1240年頃に建国したスコータイ王朝とされますが、パヤオ王国は小規模な部族国家とはいえ、タイ族による建国はスコータイ王国建国の1世紀半前になります。


建国当時、王国の都はチェンライのチエンセーンにありましたが、1174年にシンハラート王がこの地に都を建設したとされています。


しかしパヤオ王国があったころ、タイ北部ではパヤオの東にナーンにカーオ王国、プレー王国などの多くの部族国家があり、この地域一帯は群雄割拠の時代でした。


ガムムアン王とは

1238年に生まれたガムムアンは1258年、9代目パヤオ王に即位しました。


当時、モンゴル帝国による中国の雲南への遠征があり、ガムムアン王は警戒を強めていました。


この危機に対処するため1287年、ガムムアン王はスコータイ国のラーム カムヘン王、チェンマイを都とした新興国のラーンナー王朝の初代マンラーイ王と軍事同盟を結びました。


そして、南と西の安全を確保したガムムアン王は東北にある諸国の平定に乗り出し、パヤオ王国の最大を版図きました。


しかし、1298年にガムムアン王が亡くなると、3カ国による軍事同盟もガムムアン王の死により無意味なものとなり、パヤオ王国は周辺国との度重なる戦のためにその勢力は衰退し、1338年にラーンナー王国の属国になりました。


その後、このパヤオはビルマのタウングー王朝の軍に占領され、かつてのパヤオ王国の都は廃墟となりました。

このガムムアン王像の向かい側にパヤオのモニュメントであるナークの像があります。

このガムムアン王像は夜間にはライトアップされます。


このあたりは雰囲気もいいのでパヤオの若者のデートコースとなっており、夕方になるとオートバイで乗り付けたカップルをよく見ます。


湖の近くにはおしゃれなタイ料理のレストランやカフェがたくさんありますので、夕涼みに湖畔を散歩してみてはいかがでしょうか!

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