ノンタブリーのチャオプラヤー河の畔に建つお寺「ワット ノーイノーク」はアユタヤ王国滅亡時にビルマ軍からの逃走に成功したクン スリモンコル将軍と彼に従った兵士によりタークシン王(在位1767年ー1782年)の治世に建てられました。
地図
地下鉄プラナコーンブリッジから徒歩8分
ワット ノーイノークの歴史
1767年アユタヤ王国がビルマ軍により滅亡しクン スリモンコル将軍と彼に従う兵士達は捕虜になることを拒みビルマ軍からの逃走をしました。
しかしながらビルマ軍の追手も速くこの地にたどり着いたクン スリモンコル将軍達にビルマ軍の兵を乗せた船がチャオプラヤー河を渡って来るのが見えました。
それを見たクン スリモンコル将軍と兵士達はアユタヤから逃走に疲れ切っていたためビルマ軍の追撃を振り切るのは不可能と思われました。
当時、この場所にはガジュマルの木に覆われておりました。
そこで将軍や兵士たちはガジュマルの木々に隠れ息を潜み瞑想を行いました。
そうして息をひそめ瞑想をするクン スリモンコル将軍は「私と従った兵士達が無事に追撃から生き延びることができたら仏教を継承するためこの地にお寺を建てます」と祈りました。
到着したビルマ軍は隈なく敗残兵を探しましたがガジュマルの木々に遮られ見つけることができずに追撃を諦め去っていきました。
その後タークシン王によるビルマ軍に駆逐し祖国解放の成功した後にクン スリモンコル将軍は誓い通りこの地にお寺「ワット ノーイノーク」を建てました。
こうして建てられた「ワット ノーイノーク」ですが、1941年から1942年の大洪水により本堂は半分の高さまで水に浸かってしまい、1975年に再び洪水の被害にあったことから住職がいなくなるほど荒廃してしまいました。
しかし荒廃してしまった「ワット ノーイノーク」ですが1978年から1980年まで有志による寄付が集められお寺は再建されました。
お寺の境内の片隅に一本だけガジュマルの木がありました。
現在、お寺の周りは高層マンションが建っており昔の面影はありませんが、将軍や兵士達が息をひそめたときにはこのようなガジュマルで鬱蒼としていたのでしょう。
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