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執筆者の写真somutamu

チェンマイ王家の菩提寺:ワット スワンドーク

更新日:2023年7月4日

500年以上の歴史をもつタイ王室管理3級の「ワット スワンドーク」には古い仏塔や18世紀からの復興ラーンナー王国のチェンマイ王家の王族が葬られています。


地図

拝観時間:朝9時から夜9時まで


(時間変更があります)


ワットスワンドークの歴史

14世紀、手厚い仏教保護を行っていたラーンナー王国6代目クーナー王は領内の仏教布教のために隣国スコータイ王国から高僧を招きました。


そして仏教布教のため1371年に「ワット スワンドーク」が建てられました。


建設当時、ここにはสวนดอกไม้(スワンドークマーイ)とタイ語で花園となっていたことから「ワット スワンドーク」と名付けられました。

お堂の中は広々としています。


こちらの本堂は1932年い修復されました。

真ん中になるご本尊は1373年に青銅により鋳造されました。仏像も高さもクーナー王の身長と同じ2メートルとされています。

ご本尊の台座にはタイ独特の彫刻が施されています。

ご本尊の裏側にも仏像は祀られています。

仏像が祀られている天井にはラーンナー様式の彫刻が施されています。

この日は仏塔が修復中でした。


14世紀にクーナー王が招いた高僧スマナテーラは2つの仏舎利を持っていました。その内一つのワット プラタートドーイステープに祀られ、1373年に「ワット スワンドーク」に仏舎利を祀るための仏塔が建てられました。

境内には歴代のチェンマイ王や王族が葬られています。


チェンマイ王家とは

長らくラーンナー王国はビルマの支配下でしたが、18世紀に重税に耐えかねた民衆蜂起が起きました。


1730年にチェンマイの隣のランパーンでも反乱が起きましたが、ランパーンに住んでいたティップチャックが反乱鎮圧の功績によりビルマ王からランパーン領主の地位を得ました。

1774年、ランパーン領主3代目カウィーラはビルマに反旗を翻し、タイのトンブリ王朝のタークシン王の協力を得てこの地域のビルマ軍の抵抗を始めました。


1782年にタイのラーマ1世によりチェンマイ王を認められたカウィーラは1796年にチェンマイを奪回したのちチェンマイを復興させ破壊された寺院の修復を行いました。

そうしてカウィーラのチェンマイ王家による復興ラーンナー王国はタイ王室によりチェンマイや隣接するラムパーンとラムプーンの統治が認められました。


1885年からラーマ5世によるチャクリー改革という近代化政策によりラーンナー王国は事実上併合され第2次世界大戦期に完全にタイに併合されましたが、現在でもチェンマイ王家の末裔は地元の名士として地位を保っています。

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