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執筆者の写真somutamu

反乱により焼失したお寺:ワット ピトゥラーティラート ランサリット

更新日:2023年6月15日

ラーマ3世(1788年3月31日ー1851年4月2日)の治世にチャチューンサオに「ワット ピトゥラーティラート ランサリット」が建てられました。


地図

拝観時間:朝6時から夜9時まで


(時間変更があります)

中国人の秘密結社による反乱

当初、このお寺の場所はチャチューンサオの街の中心部に建てられお寺も「ワット ムアン」とされていました。


ラーマ3世の治世は当時、清とよばれた現在の中国からの貿易が盛んで、多くの中国人貿易商がタイに住みつきました。


しかしながら、それら一部の中国人グループがタイ国内にアンイーとよばれる秘密結社を組織しアヘンの密輸を行っていました。

1848年にチャチューンサオでアンイーの反乱が起きたため「ワット ムアン」は焼失しました。


その後、焼失したままの「ワット ムアン」は1884年頃にチャチューンサオの中心地から少し離れた現在の場所に「ワット ピトゥラーティラート ランサリット」として再建されました。

この日、本堂は閉まっていますので横にあるお堂にてお参りをしました。


現在のタイも中国貿易は重要で多くのコメなどの食料品が輸出しており、中国からの投資も増えています。

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