ワットレーンにはアユタヤの悪女とされるシースダーチャンを処刑し葬った場所で、祠の奥にある処刑されたとされる場所にはガジュマルに包まれた古い壁が残されています。

タイではシースダーチャンは夫や息子を殺し王宮を乗っ取った悪女とされ、何度も映画やドラマ化されています。
この日もシースダーチャンに関するドラマが放送されたばかりでたくさんの人が弔いに訪れいました。

地図
シースダーチャン妃とは
シースダーチャン(1534年ー1548年)はアユタヤ王国14代チャイヤラーチャーティラート王の妃です。
このシースダーチャンが現在でも悪女と言われるのは
王妃でありながらクメール人で小姓のブンシーと密通していたことから夫のチャイヤラーチャーティラート王を毒殺しブンシーを軍の最高指揮官の地位に就けました。

夫の殺害後にシースダーチャンは1547年に実子で11歳のヨートファーを王位に就けました。
しかしヨートファー王はブンシーとシースダーチャンが通じていることを知ったためにブンシーの排除を計画しましたが、、、
この計画は実行前に漏れていたことからヨートファー王は実母であるシースダーチャンにより処刑されました。

ヨートファー王を排除後にシースダーチャンは権力を握るためもう一人の息子であるシーシンを王位につけブンシーを摂政としました。
さらにシースダーチャンはそれに飽き足らずブンシーを王位につけるためにシーシン王を強引に退位させブンシーをアユタヤ王国17代ウォーラウォンサーティラート王として即位させました。

シースダーチャン処刑される
このシースダーチャンの強引なやり方には王宮に不満を持つものが多く貴族のクン・ピレーントーンテープと後にアユタヤ王国18代王となるチャクラパットはウォーラウォンサーティラート王の排除の計画をしました。
そして計画通りに象狩りとしておびき出したウォーラウォンサーティラート王の暗殺に成功しました。

こうして権力を失ったシースダーチャンはこの壁の前に引き出されチャクラパットにより処刑されこの地に葬られました。

ウォーラウォンサーティラート即位の42日後に政治的な混乱を収めたチャクラパットはアユタヤ国王に即位しました。

しかし、シースダーチャンが起こした政治的混乱が災いとなり、後にアユタヤ王国はビルマの属国という大きな悲劇に見舞われるのでした。
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