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執筆者の写真somutamu

勇気ある女性達を称えたお寺:ワット サーカラー

サムットプラカーンにある「ワット サーカラー」は1782年に建てられたお寺で1785年から1786年にビルマとの戦争で勇気ある女性達の物語があります。


地図


境内の様子

こちらが本堂になります。


ご本尊にお参りをしてきました。


こちらではたくさんの仏像が祀られており


仏像の足元には水が張られており花びらの形のロウソクが浮かんでいます。


また1785年ー1786年のビルマとの戦争に関係したことからそれぞれの時代で活躍したタイの国王が祀られています。


残念ながら同じ敷地内に太陽神ラーフ―を祀る祠があるのですがうっかり忘れていたので次回に訪れたお参りをしようと思っています。


勇気ある女性達を称えたお寺

1767年にビルマ軍により滅亡したアユタヤ王国ですが、タークシン王の活躍もありタイはビルマ軍を駆逐に成功し同年にバンコクにてトンブリ王朝が成立しました。


こうして成立したトンブリ王朝ですが心の病に侵された晩年のタークシン王は民心を離れる行為を行ったことから各地で暴動や反乱が起きました。


そのため民衆に人気のあったチャオプラヤ チャックリーはやむなくタークシン王を処刑し自らラーマ1世にとして1782年に王位につき乱れた国を安定させました。


しかし、アユタヤ時代から度重なる戦争を繰り返してきたビルマがこの政変の機会を見逃すことなくタイに侵攻を始めました。


そのためタイでは老人と子供を除く男性は兵士として戦場に赴きました。


そんな戦いが続く日々、「ワット サーカラー」がある村の近くまで来たビルマ軍の小隊は村には老人と女性のみと侮って侵入しました。


しかし、村にいた女性達はひるむことなく手にしたこん棒や鉈、鎌などで大立ち回りをし、ついにはビルマ軍を追い散らしてしまいました。

その後ビルマ軍を追い散らしたことからこの村は勇気ある女性の村と知られるようになりました。


また、この戦争はラーマ1世がビルマ軍の戦術を熟知していたことから2度に渡る侵攻に対し巧みに要撃しビルマ軍を見事に撃破しました。


女性が活躍するタイの社会

タイは母系社会と言われることが多く、家庭内では母親の意見が強いのが特徴です。


そのため、タイの社会では屋台で大鍋を振ってチャーハンを炒めているおばちゃんから実業家や大手企業の役員、医師、弁護士など女性が大活躍しています。


以前にバンコクで知り合った日本人女性が


「日本では建築関係の仕事で働いていましたが、まだまだ男性中心の業界です。しかしタイでは女性の社会進出が進んでいることから、その業界でも活躍できると思ってタイに来ました」と仰っていました。


現在のタイ人女性の社会進出はビルマ軍を追い散らしてしまった強さからきているのかもしれません。

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